日の丸を日本総船印としてもちいるように幕府に建議したのは、水戸の徳川斉昭と薩摩の島津斉彬であった。島津斉彬は、肝心の日の丸を赤に染める染料や染色の技術が薩摩になく苦慮していた。そこで親戚関係にある福岡藩黒田長溥の領内、穂波郡山口村茜屋において古くから伝わる茜染の技術を習得させるべく、その家臣らをつかわし、日の丸をそめさせた。作品は見事にできあがり、これを老中阿部正弘に提出、紆余曲折はあったが、これが日の丸国旗制定の基となったといわれる。
http://8509.teacup.com/kojima/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fchikushi.fku.ed.jp%2Ftanbou%2Fakane.html
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