2007年9月24日月曜日

『王事(おうじ)』 人間のあるべき姿

王事(天皇の命令で行うこと)靖國神社の御祭神は「嘉永六年以降の国事殉難者」と定められたのは、この文書によるもの「なほこれより後も『王事(おうじ)』に身を捧げて斃れた者達」の霊と規定しています靖國神社の本殿はあくまでも、当時の官軍、つまり新政府の為に命を落とした人達をおまつりするお社であるとしているのは,間違いである。根源は明治天皇となる大室寅之祐の本当の父親は、作蔵にあり,王事(おうじ)』 に逆らったのが後明治天皇なのだ。これが正しいとしている小泉自民党とその一団は王事(おうじ)に逆らっているのだ,これをして逆賊となすモノナリ。三国伝記』巻7-7「阿闍世王事」 頻婆裟羅王が、召しに応ぜぬ仙人を殺す。仙人はやがて頻婆裟羅王の太子として生まれる。これが阿闍世王である。阿闍世王は父頻婆裟羅王を殺して王位を奪う。 『太平記』巻25「宮方の怨霊六本杉に会する事」『淮南子』逸文  禹の妻は石に化したが、その石の北側が破れて啓が誕生した。『封神演義』母の胎内に三年六ヵ月いて誕生したナタ(ナタク)は、七歳の時すでに身の丈六尺を超え、龍王の第三太子及び臣下巡海夜叉と争い、殺す。 陳塘関総兵李靖の夫人殷氏は、妊娠三年六ヵ月になっても出産しない。ある夜彼女は、「老道士が霊珠を胎内に入れる」と夢に見て産気づき、肉毬を生み落とす。夫李靖が刀で肉毬を切ると子供が飛び出、ナタ(ナタク)と名づけられるここに上げたのが『王事(おうじ)』」 の云われ。神々信仰のことであって,神とはも知らない人間が語る云われとは違いがある。神は善と悪の心の持ち方を表わすもので真の正しいまつりごとがここでの,王事(おうじ)。察するに今云われている天皇問題は神々の精神と何も関連しないもの。国民が神々まで決めてしまうという,王事(おうじ)に逆らっているのだ,これをして逆賊となすモノナリ。神道優位を強烈に掲げ、同時に将門を天皇に反抗した「逆賊」として位置付けた。衣の下の鎧が見えたり、逆賊自民党。自民党の真の狙いは、天皇を担ぎ、忠臣を装って、権力を握り天下を乗っ取ることである。 ... これを逆賊と云わずして何を逆賊というのか。日本の伝統でもなんでもなく、明治維新後の欧化政策、つまり耶蘇の教えによるものである。つまり、自民党主張は、我が皇国伝統の天皇制自分の云うこと訊く誰かを連れてきて、それを皇位につけ、背後で操る・・・つまり政治(自民党と官僚)が天皇を支配するを、耶蘇の支配下に置こうとするものだ。真の逆賊はしばしば忠臣を巧みに演ずるものである。

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