2007年9月24日月曜日

天馬塚と鷲尾塚で出土した王冠


画像は鷲尾塚古墳全景漢の武帝と南越国王の時期紀元前111年で,以後弥生後期頃夜須耶麻国が出来て夜須周辺一帯に民族の流入があり弥生遺跡が密集しているのもこの為であろう。朝鮮半島南東部・現在の韓国東半分を占めた古代国家北方民族系高句麗王族の一派が南下し韓族を支配したのが国の始まり356年即位の奈勿王が初代とされる※ここで古墳の形態が夜須松延周辺の古墳と同じ事に何らかの拘わりがあると思われ塚という名が同じ呼び名となっている天馬塚と鷲尾塚で出土した王冠もまったく(☆うりふたつ)である又ここにあった二つ口の壷(酒器)は酒がそそがれ,ストローのようなもので,二人が飲む祭祀土器の似た点画像参考夜須鷲尾酒器北方民族系高句麗王族は夏王の後裔越国の所領地なる高句麗の古墳の瓜二つなのも観点がよみとれる。北方民族系はこの時期中国の王ではないので,越王勾践の後裔王であり,国の名にも見られる。倭系は漢民族でこの南越国王を民出身の酋長が武器で奪い獲ったので,中国のシュメール信仰はなくなったのである。倭国に移った王紀元前111年の事で卑弥呼の時の王ウガヤは何代目かのウガヤであろう。30年一代として七代目頃の王が倭人伝に記された王で,鷲尾塚の☆鷲はシュメールの王後裔を表す評語で尾とは根という意味で,後裔としている。天皇系図初代は神武であるが父は平山御陵と記される高句麗・百済は中国に滅ぼされたここでの★中国とは夏王朝の民族ではない,すでに漢民族に奪い取られていたのであるから,倭国つまりこのとき日本の王朝天皇となっている。中国中華民族国により高句麗・百済は中国に滅ぼされた新羅は苦戦しながらも中国を追い出し、半島南半分(現在の韓国)となっている高句麗の後継者である渤海王朝も成立し、新羅と南北対立渤海の領土は半島北半分(現在の北朝鮮)+満州  [小林教授参考]

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